葬式から数ヶ月後、何の気なしにストリートビューを見ていたら、亡くなったおじいちゃんが写っていた。どうやらマップがまだ最新版になっていないみたい。車庫にある小さなゴミ箱を玄関にいれようとして、少し屈んでいたところをちょうど撮られたようだ。灰色のちゃんちゃんこのようなものを着ていて、足元はたしかサンダルだったような気がする。特にGoogleの撮影車に気付く様子もなく、ゴミ箱に集中していた。亡くなって悲しいという気持ちがどうしても先行してしまう中で、写り込んじゃったという茶目っ気を残して、彼はこの世を去っていった。その様子を見て、あぁこの人はどこまでエンターテイナーなんだ、とわたしは思った。
ストリートビューに写っていたことをおばあちゃんに伝えると、「あらもう、写り込んじゃってるじゃない」と、これまた茶目っ気たっぷりな言葉が返ってきた。
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端的に言うと、おじいちゃんは極めてひょうきんな人であった。頻繁にダジャレを言って場を和ませたり、2本の指を足に見立ててランウェイを連想させるような歩き方で机の上を歩行したり、とにかくボケしろを見つけてはトライしていた。本人が笑いを意識していたかどうかは今となっては分からないけれど、笑いを貪欲に狙う姿勢はただただかっこいい。
年明け、おばあちゃん家に行った。
「じゃあせっかく来てくれたわけだし、おビールでお疲れ様の乾杯でもしましょうか」
おばあちゃんは、ビールのことをおビールと言う。他にも、紅茶のことをお紅茶と言ったり、必ず先頭に「お」をつける。彼女を見ていると、人間は言葉遣いや所作などの細やかな部分に表れるのだな、と改めて気付かされる。小さな部分にこそ、その人たらしめるポイントがつまっている。おばあちゃんの丁寧なところが大好きだ。
「あ、そういえばおばあちゃんに見てほしい写真があってさ、これこれ、見てよ。なんとうちのネコがストリートビューに写ってたんだよ!!」
Googleの撮影車に気付く様子もなく、毛づくろいに集中しているうちのネコが写っている。
「あらもう、写り込んじゃってるじゃない」
おばあちゃんは微笑みながら、あの時と変わらない穏やかな声色で、茶目っ気たっぷりにそう言った。